JA共済連の現状2016デジタルブック
77/184

JA共済のあゆみ関東大震災での救援活動にあたる賀川豊彦(中央)などの反発により、最終的には農林大臣の中止命令を受け、結実することなく戦争の時代に向かってしまいました。■農協の共済の誕生 終戦からわずか3か月、賀川は「日本協同組合同盟」を結成し、再び協同組合保険の創設に尽力します。 焦土と化した日本で精力的に活動する中で「協同組合運動こそ復興のカギ」として発表されたのが、昭和22年の「新協同組合要論」です。賀川は「保険とは、もともと互助的なもの。人間の隣人愛的な思いから生まれ、それを形にしたもの」と述べて、協同組合保険の設立にまい進しました。 昭和22年、農業協同組合法が定められて農協が誕生、同時に農協による共済事業の実施も認められ、ここに賀川の願いが実現することとなりました。■全共連の誕生と発展 農協の共済が北海道を皮切りに各県で開始され、昭和26年には全共連が誕生しました。また賀川が共済に先んじて設立に寄与した相互扶助のための損害保険会社、共栄火災も、全共連の普及活動に力を貸すことを約束しました。 賀川は、ビルの一室に数人のスタッフでスタートした全共連の顧問となり、全国推進大会に出席するなど、共済の普及に大きく寄与しました。戦前のアメリカでの活動と同様、賀川は自らの足で全国を回り、農協が共済事業をすることの必要性を情熱的に訴え続け、大きな感動を呼び起こし、こうした中で現在のJA共済の基礎ができあがっていきました。その想いは、昭和23年、賀川が自らの還暦祝賀会で“遺言”として語った「協同組合保険(共済)を実現せよ!」という言葉にも表れています。■相互扶助の精神を貴ぶ 教育、救済、労働・社会運動、農民運動、協同組合運動、共済・保険事業、平和運動…若き日に決意したように、人びとのために尽くした賀川豊彦は、昭和35年、人びとに惜しまれつつ逝去しました。晩年、自らの“遺言”が実現するのを見た賀川は大いに喜ぶと同時に、単に事業の発展のみならず、その原点となる相互扶助の精神が貴ばれることを強く願っていました。■今こそ、共済の果たすべき役割を 時は流れ、農家やJA共済利用者の生活は向上し、安定していきました。JA共済も成長し、幸せの輪も大きくなりました。一方で人びとのライフスタイルは変化し、ニーズや願いも様変わりしています。農業、農村や地域社会のあり方も変化し、組合員の高齢化や世代交代が進展する中、次世代との新たな絆づくりや地域社会の中でのコミュニケーションが重要な時代を迎えています。 また、平成23年の東日本大震災では、豊かで幸福な生活が一瞬にして失われてしまうのを目の当たりにし、同時に「絆」や「助け合い」がどれほど大切かをあらためて考えさせられることになりました。もし賀川が今ここにいれば「JA共済の果たすべき役割が、今ほど求められている時はないよ」と、被災して困っている人たちの渦中に真っ先に飛び込んだに違いありません。 賀川豊彦がめざしたもの、それは万人が幸福で豊かに暮らす社会の実現でした。そのために共済事業が必要であり、その発展を望んでいたのです。JA共済は、この理想を高く掲げ、これからも地域や生活に「安心」と「満足」をお届けしていきます。全共連の昭和31年度からの5か年計画に際する賀川豊彦の揮毫Ⅰ2015年度の業績ⅡJA共済連の運営についてⅢ事業活動Ⅳ地域貢献活動Ⅴ組織概要75

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

page 77

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer10.2以上が必要です